束縛DVクズ男と付き合った体験談

元カレは束縛とDV男だった!

私が20代前半の頃、転職をきっかけに地元を離れ県外に引っ越すことになりました。初めての土地に最初は戸惑ったものの、地元の同級生が何人か私が引っ越した先に就職していたため、その友人たちに助けられながらなんとか過ごしていました。転職先はいわゆるブラック企業で、朝6時半には会社にいなければならず、残業は当たり前…毎日終電ぎりぎりまで仕事をしていました。

 

上司からは「うちはできたばかりの会社だから忙しいんだ」と言われ、3か月間丸1日休みという日はありませんでした。転職して4か月目から2週間に1日休みがもらえるようになりました。正直なところ、私は心身ともに疲れ果てていました。でも、やらなければノルマは達成できないし、上司からの罵声も強くなっていくため、頑張るしかありませんでした。

 


そんな私を助けてくれたのが、地元から同じ地域に就職していた同級生です。私がいつもより早めに会社をあがれた時には、飲みにつれて行ってくれたり、家に泊めてくれたり、相談に乗ってくれたりしました。いつも5人ほどで集まり、飲んでいました。このころ、私がくじけずに仕事を続けられたのは、この仲間のおかげだと思っています。

 


勤め始めて1年ほど経ったある日、いつものように出社すると、突然息がつまるような感覚になり、苦しくなりました。立っていられなくなり、だんだん手が硬直し始め、私は救急車で近くの病院に運ばれました。診断の結果、私は過換気症候群と言われました。疲れがたまっていたのか、ストレスなのかわかりませんが、いわゆる過呼吸を起こしてしまったのです。でも、すぐに回復し復帰したのですが後日社長に呼ばれ「これから忙しい時期になるのに、精神的に問題がある人に働かれては困る」と言われ、辞職するよう言われました。私はショックでしたが、会社に迷惑がかかることも考え、辞職を選びました。

 


地元の仲間で飲んだ時にこの話を伝え、つらいことを隠しつつ笑い話にしました。しかし飲み会が終わって解散するとき、2人で抜けようと言われ特に仲の良かったA男と朝まで飲むことになりました。A男は親身になって話を聞いてくれ、つらかったね…と慰めてくれました。私はそれが泣くほど嬉しくて、A男に惹かれるようになりました。次の仕事を探す間、A男は私を色々な場所へ連れて行ってくれました。

 

これまで休みがほとんどなかった私にとって、A男と行く場所すべてが楽しく感じました。そして何度目かに2人で出かけたある日A男に告白され、私はA男と付き合うことになりました。しかしA男は仕事の関係上、次月から半年間の研修が決まっていました。その間あまり連絡は取れないし、休みもあまりないといわれました。寂しかったけど、A男のためと思い、我慢しました。

 

そして研修が始まり、最初の頃は電車で3時間かかるA男の研修先まで会いに行ったりしていました。なんとか順調にいっていたと思います。
ある日の夜私の携帯電話が急に電源が入らなくなってしまいました。しかし夜であったため明日朝一でショップに行こうと思っていました。そしてその日は寝ようと思ったのですが、0時過ぎ玄関のドアを荒々しくたたく音が聞こえます。

 

びくびくしながらモニターを確認すると、そこにはA男が映っていました。突然のことで驚きながらも、部屋に入れるといきなり怒鳴られました。なぜ連絡をよこさないのか、今まで何をしていたのか、浮気をしていたんじゃないのか、私がいくら携帯電話が壊れたことを説明しても、怒りは収まりませんでした。私はA男が怖くて、だまって話を聞いているしかありませんでした。そしてA男はわたしの壊れた携帯を没収し、A男が使っていたもう1台の携帯を私に渡しました。今後この携帯以外使ってはいけないといわれ、従うしかありませんでした。

 


そしてA男は研修先に帰り、私は携帯を確認してみました。すると、連絡先はA男しか登録されていませんでした。日に日にA男の束縛はエスカレートし、メールも2分以内に返さなければ大激怒。電話はどんな状況でも3コール以内にでる、これはもう絶対でした。そして何より私の苦痛だったのが、A男以外と連絡をとってはいけないということでした。もしA男以外に連絡を取ったら、履歴を消してもわかるんだからな、と脅され、親にも連絡禁止と言われました。今考えると、従っていた私もすでに精神的におかしい状態だったのだと思います。

 

とにかくA男を怒らせないように必死でした。しかし、どんなに気を付けてもA男が決めたルールを守れないときもあります。そんな時は毎回アパートまで訪れては、罵声を浴びせて新しい追加ルールを作り帰っていきました。それでも機嫌が直らないときは、部屋にあるものを壊し、私に殴る蹴るの暴行を加えていきました。DVもどんどんひどくなってきました。機嫌がいい時ももちろんありましたが、私の何気ない一言で突然怒り出すこともあり、だからといって何も言わないとそれはそれで怒ります。私は八方塞がり状態で、もうどうすることもできませんでした。

 


そしてそんな生活を5か月続け、あと少しでA男の研修が終わるというとき、私の精神状態はついに限界を迎えました。あと少しでA男が帰ってくる、そうすれば今より会う回数が増えてしまう…私の頭はそのことに対する恐怖しかありませんでした。部屋から出るのが怖くなり、人と会うことはおろか、人とすれ違うことさえ怖く感じるようになりました。

 

深夜の人が少ない時間しか外に出ることができなくなり、部屋もカーテンは閉めっぱなし、起き上がるのはトイレに行くときだけという生活になりました。それでもA男から連絡は来ます。私は携帯電話が鳴るたびに身体が震え、涙が出ました。A男は家にも来ます。それでも私はドアのカギを開けることはできませんでした。A男が帰るのをひたすら息を殺して待っていました。

 


あと1週間でA男の研修が終わるというとき、いつもA男が訪ねてくる時間とは全く違う時間にインターホンが鳴りました。最初は何かの勧誘かと思って無視していたのですが、モニターで確認すると、そこには私の両親が映っていました。半年以上も連絡がつかない私を心配して、地元から700㎞も離れた私のアパートまで来てくれたのでした。

 

私は2人を見て号泣してしまい、両親も無事でよかったと泣いていました。顔にはクマができ、髪の毛はボサボサ、荒れ果てた部屋を見て、両親は何も言わずに「帰っておいで」と言ってくれました。そして私はアパートを引き払い、実家に帰ることになりました。

 


とにかくその時の私は「これでA男から解放される。助かったんだ…」という思いでいっぱいでした。実家に帰ってからも、外に出れない状態が続き、病院に通いました。家族とは普通に話ができるようになったので、私は簡単にA男のことを話しました。

 

そして両親がA男の携帯を返してくれたりしたようでした。
しばらく実家で過ごすと、徐々に回復してきた私は、携帯を買い友人と連絡が取れるようになりました。友人たちはみな連絡が取れない私を心配してくれていました。みんなの優しさでなんとか元の生活を送れるようになった私は、仕事をはじめ、両親に恩返しができるよう過ごしていました。

 


今思えば、A男に言われるがまま過ごしていたあの時期の自分は、なんてバカだったんだろうと後悔しています。自分にももちろん非はありました。それでもやはり、A男に対する恨みは消えず、いまだに同窓会には出席したくありません。時間とともにこのことを忘れて行ってはいますが、しこりは残ったままです。
二度とこんな思いをしたくないので、人を見る目を磨き、自分の意見を言える人間に変わろうと頑張っています。